らい(ハンセン)病と鎌倉時代を考えます。
鎌倉(神奈川県)の山のふもとに、死人が捨てられた場所がありました。
そこに念仏の寺(極楽寺)が建ちました。
良観という僧侶が奈良で修行しました。良観は、らい病患者を差別から守りました。そして、らい病患者に働き口を与えました。そして、良観は鎌倉にやってきました。極楽寺の土地・建物を拡大しました。
僧侶の立場で、山を切り開くような土木作業を実行しました。
ハンセン病の人は働くことができます。病気を他人にうつすこともありません。
同じ歴史が繰り返されています。
瀬戸内海の島で、ハンセン病患者が幽閉されました。
幼い女の子が親族(祖母)と別れた涙の歴史。
ハンセン病患者は、結婚もできます。
ただし出産は許されませんでした。中絶・不妊・赤ん坊取り上げを強要されました。
そして死ぬまで島で暮らしました。
島から脱出した者は、通報され(恐怖の対象となり)、助けてもらえませんでした(送管されました)。
ハンセン病患者に厚生労働大臣(坂口力)が謝罪しました。
坂口力は、辞表を用意しました(厚労省の官僚と対立しました)。
小泉純一郎総理は、坂口力を支持しました。
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